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●シネマイーラ応援隊×はままつ映画祭主催・片渕監督トーク之会 ![]() 映画上映・舞台あいさつに参加してきました。 ○「片渕須直監督トーク之会」(「この世界の片隅に」に至る道・浜松編) 会場は鴨江アートセンター。古くて趣のある建物だなーと思ったら元は1928年に浜松警察署として建てられたものだとのこと。入場待ちの列に並んでいたら普通に監督登場w ・枚方映劇 監督の祖父の営まれていた映画館。ここで1963年に「わんぱく王子の大蛇退治」を見たのが映画初体験。2歳11ヶ月のころ(これまでインタビューなどでは「2歳7ヶ月」としていたがこれは東京封切時期を参照していた)(youtubeの予告編などから「途中から入ったのでこの冒頭シーンは見てない」「このシーンは覚えてる」など紹介。・「名探偵ホームズ」(1981年) わずか18年でこういう仕事をするようになる。 (エピソードリストから当時の製作体制を紹介) 「バスカビルの犬」「白銀号事件」←絵コンテまでできていた。富沢信雄さん(演出)にできてましたよねと聞いたらおぼえてないと(笑)。全部で26本くらいやるはずだった。8本企画し6本完成した。共同製作していたイタリアから金が届かず中断となった ・「NEMO/ニモ」(1989年7月日本公開) 「リトル・ニモ」のアニメ映画化。予算28億かかっていた。黒澤映画より多い。これもダメになった。(筆者注:「NEMO/ニモ」は製作が難航する中で体制が替わったため3パターンの映像があります。wikipediaによると最終的に15年の歳月と53億の製作費をかけ、興収9億円だったとのこと) いろいろとりあげられて、やってらんないなという気持ちになりながらもいろいろやっていた。 虫プロがダメになり、「手塚プロ」と「虫プロ(後継)」に分かれた。虫プロは当時子供向けの良い映画を作ろうとやっていて、「うしろの正面だあれ」(1991年3月公開)を手掛けたのもこのころ。 「ドウのすむ島」という脚本も書いた。明田川進さん(「ニモ」音響監督)のコラムに「トキの映画で片渕さんに相談したことがある」とあるのはこの作品。「トキ」という名は使いたくなかったので現地の呼び方「ドウ」。アニメ映画に実写監督の名前を据えるならわしから後藤俊夫さんが監督となっていた。「魔女の宅急便」の後。これもダメで、後で形を変えて「トキ物語」とかというの(※)になった。 結局虫プロもうまくいかない。 ・「アリーテ姫」(2001年7月公開) 片渕に仕事をさせようということでスタジオ4℃で作ることに。1998年に台本。 (浦谷さんのアリーテ姫人形の写真) これは手作り。浦谷さんが「グッズを作りましょう」とか言って作った。映画の資料として塔の模型も作った。「この世界の片隅に」では事前にTシャツを販売していた。今は鑑賞特典にポストカード作ったりしている。「作品の周りのこういうことをやりたい」という手づくり感覚の作業は今も続いている。 (2000年のスケジュール掲示) 「アリーテ姫」零号試写、初号試写 前後してAC04の打ち合わせ AC04に加えてもうひとつ割り込んできてたのが、黒澤監督が途中まで考えた(当時すでに亡くなっていたけどシノプシスがあった)企画を脚本にしろというもの。シノプシスを変えて良いと言うから変えた。黒澤案は舞台は戦国時代、主演はスティーブ・マックィーンというものだった。3DCG映像化の企画があがり、黒澤プロの許可がいるということで黒澤監督の息子さんが動いてくれたが、実写が良いんじゃないかとかいろいろあって企画がなくなった。今では自分でやりたい気もしてきているけどどういう許諾をとればいいかわからない。 「アリーテ姫」の映画製作終盤の3週間を止めて脚本を書く、ということをやった。4℃の使っていないフロアで作画机を円陣にしてこもった。 ・「エースコンバット04」(2001年9月発売) (ムービーパート頭から流す) 絵は浦谷さん。この作業をして、家に帰ってぬいぐるみを作っていた。(「黄色の13はあらわれない」まで流し、反応を見て)もうちょっと見ますか?(笑)(酒場にやってくる黄色中隊のシーン)このジープみたいなのはジープじゃなくて「M422 マイティマイト」。大塚康生さんが描いてくれた。「マイティマイト描けないんです」って言ったら「僕が描いてやるよ」と下書きしてくれた。清書は浦谷さん。 ムービーパートはたまに短編として劇場公開の機会がある。フランス映画に「ラ・ジュテ」(1962年)という絵が動かない映画がある。ナムコの人が来て「ゲームの合い間のムービーを作ってください」と。「お金と時間が無いので『ラ・ジュテ』みたいに」「どんなのですか」「『プライベート・ライアン』みたいのです」全然違うじゃん、っていう(笑)。ちなみに「ラ・ジュテ」は「12モンキーズ」の元になった映画。 「エースコンバット04」ムービーは英語音声しかない。字幕の台本的なものは書いたが、翻訳チェックもしなきゃいけない。一番英語で苦労したのはこの時。 (※筆者注:「NEMO/ニモ」の時もアメリカで相当厄介な思いをされてると思うのですが、あっちは「作品が良くなるかどうか」とかではなかったからでしょうか) 「『この世界の片隅に』へ至る道」というとAC04が一番それっぽいものかもしれない。 ・「ブラック・ラグーン」(1期放送 2006年4月~) 東南アジアにロケハンに行った。暗黒街には行ってない(笑)。南ベトナム→カンボジア→北ベトナム。カンボジアは丸山さん(当時マッドハウス社長の丸山正雄氏)が泊まりたかっただけ(笑)。(丸山さんが撮った良い写真)丸山さんは写真うまいですね。(あんまり良くない写真)う、うまい…? 北ベトナムの警察がつかまえた、ソ連の魚雷艇を流用した密輸船を見て「ホントに暗黒街っぽいものってあるんだなあ」と。これは「この世界~」からは外れてる気がする(笑)。時期的にはこれをやりながら「マイマイ新子」の構想をしている。 ブラクラは映画もやろうとしてた。予算500万って聞いて…(ry)。 このころおもしろかったのはスタジオでピラニア飼ってたこと。飼ってたのは演出の荒木。(アニメ「進撃の巨人」監督・荒木 哲郎) ・「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年11月公開) コンセプトの話(筆者注:…というメモしかない。不覚!) 最後は現代という案もあった。2006年に完全に「ブラック・ラグーン」と平行してやってたころの資料もある。 ・「MM9」(山本弘による小説を原作にTVアニメ化ストップ中・河出書房新社「文藝別冊 総特集片渕須直」に第1話シナリオ掲載) 「マイマイ新子」の後「ブラック・ラグーン」作り足しとかしたけどやりたかったのが「MM9」。怪獣もの。怪獣を普通にいるもの、災害的なものとして描く。まず気象庁が規模・進路・スピードを調べる。お話的に気象庁が前面に出る。結構ロケハンをした。気象庁にマッドハウスの名刺を出すとファンはいるもので「あれっ?アニメになるんですか」とか言われる。怪獣がいる世界をリアリティを持って描こうとした。怪獣が来たら避難とかしなきゃいけない。自衛隊は避難誘導とかする。 震災前に作業をしていた、というかこれをやっていたら震災になった。先延ばしにしている間に震災が起こり、災害を怪獣になぞらえて描くことに自信がなくなった。まだやる気はある。 本に載っている第1話を書いたのは2009年6月。「マイマイ新子」公開が2009年11月。 「MM9」がうまくいかなくなった時に浮上したのが「この世界の片隅に」。 ・「マイマイ新子」から「この世界~」へ 「マイマイ新子と千年の魔法」の主人公・新子は1945年4月生まれ。ベビーブームよりちょっと早い。母親の長子さんは戦時中18歳くらいで嫁入り。戦中はモンペ・防空頭巾姿でB-29から逃げ防空壕に入っていたはず。長子さんのようなホワホワした人は戦中どうしていたのか。これを描きたくなった。 そしたら2012年5月?防府で「マイマイ探検隊」(監督解説付きロケ地ツアー的なもの)を行った際に「この世界の片隅に」原作を勧められた。防府は今住宅地になっていて、映画で描かれたような麦畑はない。(筆者注:全くないわけではないみたいですが) (探検隊の様子・現代の防府の街並み・国府のあった現・田んぼの写真等掲示) 「マイマイ探検隊」とは昔の風景・今の風景の間にあるものを想像する知的な遊びなのです(笑)。そこで長子さんみたいなのを掘り下げたいなあとか言ってたら防府の方にああいうホワホワした人いますよ、と勧められたのが「この世界の片隅に」。 でも原爆を描いた作品らしいし、気が進まず原作を家の階段のところにしばらく置きっぱなしにしていた。 2010年7月、広島のサロンシネマで知り合いとかと会い、今につながる話なら読んでみようか、となった。 原作第1話「冬の記憶」→「どこ」とは書かれていない。「中島本町」「ふたば」だけがヒント。→これは今の平和公園だ、と。自分で解き明かしていくのが面白かった。 ・「この世界~」リサーチが始まる 中島本町のシーンのひとこま ![]() 当時の電話帳も調べた。大津屋モスリン堂は「613乙」、道を挟んだ菓子店は「613甲」。同じ家から分かれてた。「乙」「甲」ってどんな電話番号?→当時は交換手につないでもらう式。 広島刑務所 住吉橋は木造だと思っていたので絵コンテではそうなっている。この時期はコンクリートで建て直されていたことが分かったので直した。 ![]() 吉岡ネル店 お店の人々、買い物をするお母さんと女学生。 (モデルになった人々の資料写真掲示) ね!いるでしょう。あとはセーラー服がどこの学校か特定するだけ。(変態っぽかったからか会場笑) 原作に出てくるアダリンの看板、三田楽器、コロムビアレコードの看板コロムビア看板は電飾なので厚みがある。この時期既にネオン看板もある。これらは原爆前に建物疎開で消えてしまう。 たどり着いた道はそこで終わりではなく世界に向かって開けている。 (「この世界~」で歩んできたのは)こういう道のり。これはこうの史代原作のひとつの価値。 (※筆者注:「マンガとして表出しているものの背後には膨大な事実の積み重ねがあり、それは人の営みが行われる過去~現代に無限に広がっている」みたいな感じかと解釈しました) (「この世界~」時にも何度も描きなおした『大津屋』の看板は、さらに「いくつもの片隅に」までに、より正確な資料が発見された) 描き直すべきか。その場所に行けるのだと心に実感できるためには「『本当はそうだったんだ』という内容に描き改めるべきだ」と考えた。 想像力とは「ありもしないものを想像することもできる」が、「あったかもしれないものをありありと思い浮かべることができる」ものでもある。 振り返れば「ブラック・ラグーン」も「オオタフクコ」もそのような道のりであった。 ・オチ (ロケスタッフ一同でお好み焼きを食べるの図) 終点はお好み焼きロケ?いやいや、もっと先があるだろう。その先に、さらに未知の体験が続いているだろう。 ![]() トーク終了後、挨拶をする片渕監督。今回もフォルダ芸炸裂。 「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」上映・舞台挨拶 シネマイーラは開館10周年を迎えるミニシアターで、これまで何度か片渕監督の舞台挨拶やトークショーを開催しています。 河出書房新社「文藝別冊 総特集片渕須直」には名物支配人・榎本さんが寄稿し「Yさん」というお客さんに「マイマイ新子」を上映してくれと懇願され最初は「うちにアニメはなじまない」と断ったというエピソードを披露しています。 ・私は片渕監督トークは何度か直に拝見したことがあるのですが、「この世界の片隅に(さらにいくつもの片隅に)」の舞台挨拶は実は初めてだったりしました。 ・「片隅たちと生きる」は初見。着物の柄専属アニメーターとかウラ話的な面白さもあったり、現場の厳しさが垣間見えておっかなかったり。のんさんの演技シーンには凄みを感じました。 ・舞台挨拶 片渕監督:ドキュメンタリーで各地の映画館を行脚している様子が流れたが、まだ続いている。今日(2020年2月1日)で「いくつもの片隅に」が公開44日目、舞台挨拶29回目になる。シネマイーラに最初に来たのは「マイマイ新子」のころで、2010年か。 榎本支配人:Yさんという人が来て上映してくれと。最初は追い返しちゃった。ごめんね。 (片渕監督の浜松訪問は7回目) 榎本:親父がすずさんの1ヶ下。あのころ残飯雑炊が一番旨かったと言っていた」 片渕:2月は休みの予定だった。2015年から休みがなかった。 榎本:それを聞いて青ざめた。 片渕:「いくつもの片隅に」公開が1年延びたと思いきや、正月もほとんど休んでない。これから休暇&充電期間で西に向かうつもりで車で来た。そうすると、西の映画館も行けちゃうな、って。 榎本支配人の声かけもあり、『次回作がんばってください。また浜松に来てください』という感じで締め。サイン会に。前作ロングランを続けた兵庫・塚口サンサン劇場での舞台挨拶を期待する声が上がったり筋金入りの「このセカ」おっかけの方も多いんだなあと思いました。 (この後2/24、ついに舞台挨拶が叶ったようです。監督、結局仕事してるw) ![]() あと榎本支配人と「Yさん」にも「総特集 片渕須直」該当ページにサインをいただいたり(w) また、他のファンの方々と飲み会の機会があったのですが、 『いくつもの片隅に』は萌えアニメとしても十分イケますよ!!!!」 「『マイマイ新子』以来の高レベル百合ですよね!」 「それな!」 「誉のデトネーションっていうのがイマイチピンとこなくて」 「なに言ってんすか!あそこは泣くところですよ!」 とか有意義なファントークができたのが良かったですw 〇飲み会で一緒になったたじまさんがツイッター上でレポしてくれていますので 一緒に参照すると良いと思います…というかこちらの方が詳しく正確ですネ。 (※)「『トキ物語』みたいなの」… 「トキ この地球の未来を見つめて(2003 テレビ新潟・監督:杉井ギサブロー)」ですね。(2020.06.08追記)
by tomplus
| 2020-03-11 23:21
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